「やるか、やるか、やる。―21歳の婿に教わった、人生を変える『習慣』の偉大さ

ケーキと男性の線画

――頼りないと思ってた婿が心の「師匠」になるまで――

朝5時、我が家の音とブロッコリーの匂い

朝5時。まだ夜の気配が残る寝室に、遠くでアラームが鳴る音が届く。

続いて聞こえてくるのは、キッチンでカチャカチと食器を片付ける微かな音だ。

私はあえて目を開けない。布団の温もりに包まれながら、廊下から漂ってくるブロッコリーを茹でる青い匂いを待つ。それが最近の、私の贅沢な朝の始まりだ。婿が台所に立つ音をBGMに、二度寝の誘惑に逆らわないのが今の私の正解だ。

かつての私なら、この音を聞いて鼻で笑っていただろう。「いつまで続くことやら」と、冷めた目でジャッジを下していたはずだ。

「好青年」という名の頼りなさ 21歳の婿に見た社会人としての資質

あいつ――娘が連れてきた婿が、最初に挨拶に来た時のことは鮮明に覚えている。

爽やかなスポーツ青年。玄関で脱いだ靴を美しく揃え、用意した手土産をぎこちなくはあるが丁寧な所作で差し出す。その姿には、ご両親や周囲の大人たちがどれほどの愛情を注いで彼を育ててきたかという背景が透けて見えた。

なぜか家族の行事にふつうに溶け込んでいる素直ないい子。第一印象は、決して悪くなかった。だが、娘の妊娠を知らされた時、私の心には冷ややかな風が吹いていた。

「いい奴なのは十分知ってる。好感度も低いわけではない。でも、それと大人としての生活力のあるなしは別問題だよね?」

当時の彼は新卒一年目。それも、入社数ヶ月で適性の問題による配置換えを経験していた。人材業界に身を置いていた私の経験則から言えば、それは「挫折」や社会人としての資質を問われる明確なサインだ。入社早々に現場を外される人間が、その後に他の部署で長く踏ん張れる例を、私はほぼ見たことがない。未熟な精神と、心許ない収入。21歳。うちの娘も、単位を落として留年。そのタイミングでの妊娠、、、同じ、いや酷いもんだ。

どちらかに生活力があれば前向きな検討もできたかもしれないが、二人ともまともな社会人になれそうにはとても見えていなかった。

おまけに、娘だけではなく彼も最初から私の家に転がり込むつもりで話をしにやってきた。「2人だけで生活するのは無理です、でもちゃんと子育てしたいです」

考えようによっては無責任に【できる】と言わないのはある意味では大人なのかもしれない。でも、このタイミングで意地が張れない理由が理解できなかった。

それはあまりに甘っちょろい泣き言に見えたからだ。いい奴だとか素直だとか、そんなものはこの非常事態において、何の加点要素にもならない。問われるのは「どれだけ泥にまみれて踏ん張れるか」だけ。

そんな状況ではなから親に泣きつく奴に、父親業も旦那業も務まるわけがない。そう断じるに足る理由が、私の中には山ほどあった。

21歳の私と、21歳の彼。「転々虫」の正体

私が、あいつと同じ21歳の頃何をしていたか。

20歳で周囲の猛反対を押し切り、長女を出産した。ガッツだけは誰にも負けない自負があった。「絶対1人でやってやる!」という牙を剥き出しにして、社会の荒波に飛び込んだ。

私は勘のいいタイプだった。どこへ行ってもビギナーには見られない。教えられなくても空気を読み、一過性の結果を出して「できる奴」という評価を掠め取る。感性だけは鋭かった。

だが、その鋭すぎる感性は諸刃の剣でもあった。感性に振り回されるあまり、安定して稼働することが困難だったのだ。仕事も生活も、一瞬の火花のような集中力で凌ぐギャンブル。気に入らなければすぐに居場所を変える「転々虫」。それが21歳の私の正体だった。

だからこそ、私は「ここだけ頑張る奴」の底の浅さや脆さを自分自身を通してを誰よりも知っている。

結婚に至る紆余曲折の末、あいつが最後に吐いた『頑張ります!』という言葉。私はそれを、受け入れる形で『じゃあ、きちんと自分たちでできるようになるまでしっかりやりなさい』と受け入れはしたが、内心では部活で覚えた一つ覚えの掛け声程度にしか受け取っていなかった。

「ほら、やっぱりダメだったじゃないか」

そう言って、あいつを、そして私の浅はかな経験則を証明する準備は、いつだって万端だった。

3ヶ月で燃え尽きない力 「習慣」という名の真似できない魔法

人間、2週間なら誰でも頑張れる。3ヶ月もあれば、大抵の奴は「やった気」になって燃え尽きる。初速だけ速くて、その後は言い訳を探して足を止める。経験上、自分も含め、そんな「へなちょこ」を嫌というほど見てきた。

だが、同居して2年。あいつは私の予測を、まんまと裏切り続けた。

あいつは毎朝5時に起き、ブロッコリーを茹で、飯を炊く。

不器用な手つきで息子に朝飯を食べさせ、着替えさせ、それから自分の仕事に向かう。通勤時間だって決して短くはない。

起きたくない朝もあっただろう。投げ出したい夜もあったはずだ。それでも、あいつはやる。

そこに情熱や根性といった、私がかつて信奉していた「火花」のようなものは見当たらない。ただ、淡々と、時計の針が進むように同じことを繰り返す。私が軽んじてきた「停滞しない強さ」が、そこにはあった。カッコつけじゃない、それはもう「習慣」だった。

一度、あいつに聞いたことがある。

「なんで、毎日そんなことができるんだ?」

あいつは、私の重たい問いなどどこ吹く風で、ヘラヘラと笑って答えた。

「やるか、やるか、やるかしかないっす!笑」

敗北の受容 「やる側」へ

衝撃だった。 賢いわけじゃない。気が利くわけでもない。 でも、あいつは「やらない理由」を作るという贅沢を、自分に一切許していなかった。というか、やらない選択肢を作ることから封じていた。

私が誇ってきた「鋭い感性」も「経験則」も、この2年間の【積み重ね】という歳月の前では何の役にも立たなかった。蹴散らかされたのはあいつの【頑張ります】ではなく、実直な思いをきちんと受け取れなかった私の浅はかな傲慢さだった。

様子を伺い、「いつ脱落するか」をジャッジしていた私の方が、よっぽど人生の停滞期にいたのだと気づかされた。若造かどうかなんて関係ない。やる奴は、やる。 これ、内緒だけど。うちの婿は、世界一だと思ってる。

そして、あの日あんなに頼りなく見えた娘も、今では毎日、不器用なりに必死に家事と育児に向き合っている。婿のあの「淡々と繰り返す背中」が、隣にいる彼女にも少なからず影響を与えたのだろう。 もちろん、あの日の私のうがった見方が全部間違っていたとは思わない。厳しい視線があったからこそ、彼らも「甘えられない」と腹を括れたはずだし、私もそれを見届けたからこそ、今の彼らを認められる。

あいつらがこれだけやっているんだ。 なら、私だけが「感性が乗らない」なんて選択肢を作って、立ち止まっているわけにはいかない。

小さいことからコツコツと。 手あかのつきまくった言葉だが、きっと本当に自分の望む人生に変えていける人は、それがわかっている人だけなんじゃないのか。婿を見ていたら、そんな考えが浮かんだ。

やるか、やるか、やる。 あいつが毎朝眠気と戦って一度も負けなかったように――とまではいかずとも、私もチマチマと、諦めずに止まらずに、この場所を書き続ける。

私も、あいつらが見ている景色の方へ、ゆっくりと歩き出すことに決めた。

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