【一眼レフカメラのすゝめ】素人的カメラ偏愛論①:私が重い機材に惚れたわけ

カメラの線画 ①

16歳のフィルムカメラから2020年の沈黙。 カメラ嫌いだった私が、“記憶を撮る”に取り憑かれるまで。

スマホのカメラは便利だ。
手元にいつもある、取り回ししやすい、気軽に撮れる、しかもiPhoneの写真は綺麗。
カメラロールだと自分が撮影した写真でもどちらが一眼レフかわからない。そんなことが最近増えた。

それでも私は、イカツイ機材を持って出かける。
技術は知らん。あるのは想い(いや、重いかもしれない)。

そんな私のカメラ史と素人的カメラの偏愛を語る。

カメラマンが嫌い。――それでも手に取った、一台の一眼レフ

私が初めて一眼レフを手に取ったのは16歳、カメラ好きな祖父が使っていた富士フイルムのフィルムカメラだった。小さい時からカメラもレンズも家にはたくさんあった。しかし、私がカメラを手にした当時、祖父はすでに脳梗塞の後遺症で半身不随と認知機能の凹凸が激しく、周囲にカメラを教えてくれる人はいなかった。

また現像代もティーンエイジャーの肩に重くのしかかった。ちょっとピンボケしてたけど、1枚だけ妹を撮った写真でお気に入りのものがあった。でも、それ以外は現像すらできず終わった。今のように見てすぐ確認もできないため、何が良くて何が間違っているのかもわからないままだった。

※当時のフィルムは24枚や36枚撮りで500円前後。ネガ作成(現像)400円程度、さらにプリントするのにさらに500~800円かかり、費用がかさんだ。フィルムを撮りきって現像するまで結果が分からず、今のようなライブビュー確認もできない。撮影と確認の間には、常に長い時間とコストの壁があった。

それだけではなく、基本的にカメラマンという生き物が嫌いだった。周囲を気にせず三脚を立て通行人を遮り、撮りたい画のためには自然環境をぶち壊し、自分の世界に入り込む、そういう姿勢に嫌悪感が幼少期からあった。ああはなりたくない。そう思っていた。でも何となくカメラには興味があった。結局1996年の夏、初一眼レフはなんだかわからないまま終わった。

Nikon D70s との出会い

2000年代になりデジタル一眼レフが普及し始めた。ちょうどそのころ長女が生まれた。きれいな写真は残したかったが、給与の手取り額が10万円。安価なコンデジはまだ画像が荒く、デジイチには
とても手が届かなかった。写ルンですが正義だった(笑)

2000年代中盤、FMXというバイクが空を舞う競技の観戦が趣味になる。イベントに行くとイカツイカメラを構えた人が結構いた。撮影した写真を見せてもらう機会も多くカメラへのあこがれは過熱していた。

※2005年4月発売。ボディ価格は約10万円。610万画素のAPS-CサイズCCDセンサーを搭載し、前型機のD70から液晶モニターの大型化やAF性能の向上が図られた当時の普及機。

現在の主流であるCMOSセンサーに比べ、当時のCCDセンサー特有の濃厚な発色に定評がある。一方で、常用ISO感度は200〜1600と現行機に比べて著しく低く、暗所での撮影能力や画像処理スピードには当時の技術的な制約がある。

しかし、私が実際にこのカメラを手にしたのは発売から10年後。2015年、35歳の時だった。2014年に第2子出産し写真を現像することが増えた。このころはコンデジを使っていたが、それでもアルバムを作るとスマホカメラとの差が歴然だった。

そんな時だった。父が新しくカメラを買い替えたい、おさがりを使わないか?と有り難く手に入れたのがNikon D70s AF-S DXズームニッコールED18~70mm F3.5~4.5G(IF)というレンズキットが付いたこのカメラだった。

カメラはそんなに甘くない ーケラレ、白飛び、黒潰れー

憧れの一眼レフをついに手にした! 期待は跳ね上がった。
届いてすぐに長女を撮影。ピカッ、ガシャっとシャッターが反応した。反動が手にずっしり来た。フイルムカメラの時のようなとってすぐ確認できないはデジイチには通用しない。

即座に撮影した一枚を確認した。
…言葉を失った。モニターに映ったのはフラッシュで顔が不自然にテカテカに光り、まばゆいフラッシュのせいで白目、画面左上には半円に黒い影が落ちた。ケラレとの出会いだった。

いやいや発売から10年経過していたとはいえ、数多くのカメラ好きを魅了してきたカメラだ。そんなわけない。もう一度シャッターを切る。結果は同じだった。

被写体変えたら変わるかも!と当時赤ちゃんだった長男を撮影。もはや何を撮ったのかすらわからない。画面は真っ白、白飛びもいいところだった。うーん、フラッシュが悪いんのでは?と発光禁止で撮影してみる。

はい、真っ黒!カメラを手にした1日で一通りのトラブルをコンプリートした。

いやいや、無敵を誇るはずの一眼レフが、使い古したコンデジに負ける……。嘘だろ?

AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G が教えてくれたこと ー単焦点の沼ー

出足から躓いた。しかし、時代に助けられた。2015年当時、大抵のことはGoogle先生が教えてくれた。藁にもすがる思いでカメラの記事を読みまくった。構図の話、イメージセンサーの話、撮影モードの話、読みながら試した、しかしどれも思い描いていた一眼レフの画にはならなかった。

きっと才能がないんだ。。。あきらめかけたその時ある記事にこんなことが書いてあった。

一眼レフを買って思い通りの写真にならない、もうカメラやめたい!こんな風に考えている人は騙されたと思って”単焦点レンズ”を買いなさい。

AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G 当時2万円台だったが、元値15万円のカメラをゴミにするのが忍びなかった私は、家電量販店で試し撮りをさせてもらった。カシュッと軽い音と主にシャッターが鳴る。即座にモニターには撮影した画像が映し出された。

ん????おやおや????きれいなんじゃないかこれ…

結果、ちょっと頑張ってレンズを買った。

しかし試し撮りのカメラは最新機種、ここまでに何度も心が折れていた。だから大してして期待もせず息子のお昼寝を撮った。

今見たら白飛びしている。うまいかと言われたら技術的な問題はある。しかし、当時の私はこの写真の息子の手の鮮明さ、産毛の一本一本が呼吸を感じさせる肌の質感に息を飲んだ。そして今もこの日、息をひそめてピントを合わせた自分の鼓動を覚えている。

子育ての最中は子どもとずっと一緒にいるようで、実は生活に追われて見逃している成長がある。そのことをファインダーを通して気づくことがある。そしてスマホのカメラの便利さと正確な記録性を知るとともに、一眼レフは一瞬を切り取る『記憶』だと強く感じた。

こうして私はゴツいカメラに取りつかれることになった(笑)

魔法のレンズ「撒き餌レンズ」
※2011年発売。開放F値1.8という明るさを持ち、背景を美しくぼかした「一眼レフらしい写真」を安価に実現できることから、多くのユーザーを沼へ引き込む「撒き餌レンズ」の代表格。

D70sに装着した場合、焦点距離は35mm判換算で75mm相当の中望遠となる。最短撮影距離は45cm。超音波モーター(SWM)を搭載しており、当時のD70sのような古いボディでも静かでスムーズなオートフォーカスが可能だった。

2026年現在、残念ながら該当の記事を見つけられなかったが、単焦点の記事を書いてくれた人には感謝している。

日常が非日常へ―ファインダーが世界の見え方を変えた―

そこからはしばらく寝ても覚めても頭の中はカメラのことでいっぱいだった。図書館で『いまさら聞けない 一眼レフの常識』という本を借りた。きれいな写真が撮りたい一心で良く分からないままに読み進めた。見よう見まねで撮りまくった。

ちゃんと理解できたのか?と聞かれると正直今でも自信はない。しかし、周囲の明るさや被写体によってカメラの設定をどう変えたらどんな画になるか、好みの色味にするためのコツなどを触りながら覚えた。要は自分が使う機能だけは何となく把握した。

自分の息が一瞬止まるような写真をまた撮りたくて、バシャバシャ撮りまくった。フイルムカメラの時のような、撮影してからタイムラグがかなりあってからの画像確認ではない。撮ったそばから小さいモニターではあるが、どんな構図だったか、明るさやボケ感の確認ができた。天国だと思った。

うまくいっても失敗してもその場で試行錯誤したり、設定を後で見返して失敗の原因特定したり、撮影当日にお金をかけずにPC画面で見られる。いやでもそれなりには撮れるようになる。(なっていると信じたい。(笑))

もちろん、うまくいかないほうが多かった。今だって使いこなせてるのかと考えることもある。帰宅後にPCで見た時にピントの甘さを理解したり、レンズのゴミを後で発見したり、一日思う写真が取れなかったり。

でもどんな結果でも『瞬間を記憶する』私しか知らない世界を切り取る。そんな感覚に浸りたくて今もゴツイカメラをもって『重たいなー』とつぶやきなが、らそれでもバッグを抱えて歩き回る日がある。

2026年現在、当時のD70sの画像を見ると粗さが目立つかもしれない。けれど、あのカメラとレンズが私の人生をより豊かにしてくれた事実に、変わりはないのだ。

青空と桜

相棒の沈黙 ― 迫りくる別れのとき

とは言え、フルサイズ機への憧れがなかったわけではない。レンズだって魚眼やマクロも欲しかった。しかし、当時シングルマザーで2人の子どもを抱えて、更に不安定な派遣社員。カメラに10万は使えなかった。

あと、やっぱりあのカメラとレンズが好きだった。カメラを持つ前なら、絶対行かなかったような洋館や、無人島にも行った。以前なら素通りしていた道端の花をめでるようになった。散った桜の花びらでさえ、特別なじゅうたんに見えた。

そんな私の変化と並行してカメラの書き込み不良が増えていった。父が使用していた時も同じ症状が出たとは聞いていたが、少し時間を置けばまた動いていた。時がたつにつれ、だんだんエラーが増える。ニコンのセンターに持ち込み修理を依頼したこともあった。その後しばらくはだましだまし撮影を続けた。

2020年、ついに動かなくなった。完全にではないのだが挙動が明らかにおかしくなった。まだ撮りたいものはたくさんあった。でも、ここまで頑張ってきたカメラにこれ以上無理強いをいうのはなんだか申し訳なかったし、あとはゆっくり休ませてあげたい。そんな思いだった。

こうして、私の「第一章」は幕を閉じた。しばらくは心にぽっかり穴が開いたような気がしていた。それでも『記憶』を追いかけて、新しい扉を開けた話はまた次回。

(第1回:完)

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